2010年9月から2012年11月に帰国するまで、みっちりとレッスンしてくださった恩師ジョルジョ・ロールミ先生。ミラノスカラ座のアカデミーを出て、スカラ座デビューし、ヴェルディの声コンクールで一位を受賞。スカラ座、ニューヨークメトロポリタン劇場はもちろん、欧米各地の劇場で活躍された名バリトンです。発声から役作り、お芝居の事まで多くの事を学ばせて頂きました。

沢山言われたのが

「No」:その声は違う

「Signor Diaflamma」:ミスター横隔膜

「Timbro」:声の響き(の芯)

「Altezza」:声のポジジョンの高さ

でしょうか。

先生の教えで僕の音域は飛躍的に伸び、声が前に出せるようになり、今では僕の十八番のセビリアの理髪師「俺は街の何でも屋」やファルスタッフ「夢かまことか」などが歌えるようになりました。

2007年8-9月と2010-11年にミラノ音楽院で師事したカルラ・ヴァンニーニ先生。

2007年の短期留学で夏のヴァカンスシーズンにも関わらず、たくさんレッスンをしてくださいました。その結果、高い響きとヴェルディを歌える音域を手に入れることが出来、その後のコンクール受賞などにつながりました。また二回目の留学の時にはヴァンニーニ先生の伴奏で様々な町を訪れ、コンサートを行いました。いつも誇り高く、美しく、厳しくレッスンしてくださった大切な恩師の一人です。

「Posizione sui denti」 (歯の上を狙って)

「Appoggio!」 (支え!)

「Devi esprimere!」(表現しなければ!)と良く言われました。

約半年通った語学学校ELLCIのクラスメイトと。タイ人、トルコ人、イギリス人、ロシア人、その他、ブラジル人、フランス人、韓国人など、いろんな国の人と交流できました。イタリア人と結婚している人も多く、イタリア風の付き合いで、本当に楽しく過ごせました。みんなが懐かしい!

 

 

ミラノでお世話になったロータリークラブ「サンバビラクラブ」
での会合での一枚。中央の方が当時の会長で、ミラノで一番歴史のある銀行の副頭取でした。イタリアでは外国人が銀行の口座を作ることは、本当に至難の業なのですが、会長の手助けで無事に口座を作り、国際ロータリー財団からの奨学金を受け取ることが出来ました。

私は国際ロータリー財団の国際親善奨学生としてミラノに派遣されたのですが、受け入れ先のミラノサンバビラクラブで、私のカウンセラーをしてくださったのがマエストロ・カッラーロです。カッラーロ先生はピアニスト、指揮者として活躍されている方で、当時はスカラ座の字幕の責任者を勤められていました。私にスカラ座の中を案内してくださり、当時公演していた愛の妙薬の舞台や、いわゆる王様席など見せてくださり、内部にある関係者カフェでゆっくりと設立からの歴史的な流れや逸話などお話ししてくださいました。写真はスカラ座内部のプッチーニ象の前でマエストロと。

   ◆ わが第二の故郷 ミラノ 見所やイベントなど◆

世界一美しいと言われているアーケード。写真のマクドナルドの上に

オペラ歌手が毎日使っているオペラの楽譜の出版社Ricordiの販売店があります。

僕のオペラ人生で使いそうな楽譜の9割方を買いそろえることが出来ました。

(日本への郵送がとっても大変でしたが)


帰国少し前の時期のミラノ大聖堂Duomo。

クリスマスシーズンには巨大なクリスマスツリーが現れます。

学校に通うため、アーケード内のRicordi(楽譜屋さん)、スカラ座での公演を観るため、ほぼ毎日通過していて、毎日感動していました。無数の鳩と、変な人がいるのが玉に傷。。

 

クリスマスの事をイタリアではNatale (ナターレ、頭文字は大文字です)といいますが、シーズンが始まると、町中がイルミネーションで飾られ、広場には屋台が並びます。そして大聖堂Duomoの中もこのように、キリストの生誕を祝う飾り付けが施されます。

オペラの殿堂、ミラノスカラ座。世界最高峰の公演が連日行われています。トータルで何回見に行ったかわかりませんが、イスに座ってみたのは確か2回だけ。。それ以外はいつもいわゆる天井桟敷(Galleria)で、チケット代はわずか12ユーロ。なのでほぼ毎回立ち見してました。

 

 

ミラノの中央駅 Milano Centrale
僕が住んでいる間に、マルペンサ空港と直結されましたが、

実はシャトルバスの方が全然お得です♪

それはさておき、この駅からイタリアの様々な町に出かけました。

その数、50ほどでしょうか。僕のイタリアの趣味というか、思い出作りがデジカメと各町の絵ハガキです。興味のある方はお見せします♪旅を終えて、この駅に帰ってくると「あぁ、ミラノに帰ってきた。。」と感慨深くなるのでした。(色んな意味で)

 

 

ミラノ唯一の運河 ナヴィリオ
その運河沿いにはたくさんのレストランやバールがありいつも賑わっています。特に夕方からのアペリティーヴォには多くの若者が集まっり賑わっています。もともとは食前酒という意味ですが、一杯のドリンクに軽食、おつまみなどが食べ放題で、充分におなかが膨れるのです。何度アペリティーヴォでナビリオに行ったか、わかりません(笑)

また毎月最終日曜日には骨董市が催され、大変な賑わいをみせます。古着やアクセサリーもありますが、古い家具や看板、骨董品、彫刻など不思議な物がたくさん見れて、眺めるだけでも楽しいです。僕は中古CD,DVDを1ユーロでたくさん買いました。

ミラノ家具、デザイン展示会 Salone di Milano

ミラノはファッションの町としても知られていますが、もう一つミラノが世界的に注目を浴びるのがこの家具、デザイン市です。ミラノのナヴィリオ地区を中心にたくさんの家具やデザイン作品が展示され、イタリア全土からアーティストたちとデザインを勉強している人たち、また作品を買い求める企業の人などが集まり、この時期のミラノのホテルは予約が一杯で値段も上がります。面白い物がたくさんありましたが、写真はまさかの車の宙吊り作品です。

 

ヴェルディの家(音楽家、憩いの家) 
オペラ作曲家のヴェルディが晩年、多くの活躍した音楽家たちが一人さびしく余生を過ごす人が多いことを思い、彼らの為に養老院を作りました。この養老院の中央にヴェルディのお墓があります。今なお、超一流の演奏家たちを受け入れており、内部にはレッスン室やサロンがあり、時折コンサートが行われています。カレーラスをはじめ、様々な歌い手が演奏会を行っているとの事です。

ヴェルディ憩いの家にお住みの、リナ・ヴァスタ先生。
僕が藤原歌劇団の養成所のイタリア研修で声楽のレッスンを担当してくださった方です。体は小さいですが、80過ぎても素晴らしい、輝く声を出されていました。オペラの黄金時代を知る、数少ない先生の一人です。多くの日本人歌手が先生のもとで研鑽を積んでいます。

   ◆ 留学中の演奏会、オペラの出演記録 ◆

2010年10月14日 ミラノ音楽院主催 

老人ホーム慰問コンサート

ピアノ:M゜カルラ・ヴァンニーニ

2010年10月 Villa di Schiavon

日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第31期イタリア研修に

助演として参加。研修発表コンサート「フィガロの結婚」抜粋にバルトロ役で客演

五年前に自分も参加したイタリア研修。

久しぶりに訪れたヴィッラは何も変わっておらず、

まるで時間が戻ったかのようです。充実したイタリア人講師たちとのレッスンと美味しい食事。音楽に、オペラにひたすら集中できる研修は、自分たちの代の時と全く変わっていませんでした。

 

2010年11月23日 ミラノ防衛大学ホールにて

麻薬拡散防止協会主催コンサート「音楽の人生」

協賛:ミラノ各地のロータリークラブ、ライオンズクラブ、ミラノ防衛大学、ミラノ音楽院

2010年12月 ヴァイラーテ市

「Voci dal mondo」(世界からの声)コンサート

ミラノ音楽院で声楽レッスン受講生によるボランティアコンンサート。それぞれが民族衣装を着て、(日本人は浴衣を着て)演奏しました。ヴァイラーテ市の市長も来場され、新聞に記事が載りました。

2010年12月 ミラノ 老人ホーム慰問コンサート

ミラノ音楽院の声楽レッスン受講生でボランティアコンサートを行いました。

2011年2月7日 ガッララーテ ドラゴンホール

ミラノとマルペンサ空港の途中にあるガッララーテ市、老人ホームのホールでの演奏会です。ここでは毎月演奏会が行われていて、過去にも様々な日本人オペラ歌手が出演したそうです。

中央のひげもじゃもじゃの方が、名物司会者で、曲の説明や、

詩の朗読を行いながら演奏会を進行するのですが、日本の地名を覚えられないようで「東京出身」「大阪出身」のどちらかで必ず紹介されるのが玉に傷です。演奏会後はいつも老人ホームで皆さんと同じメニューのディナーでもてなされました。

 

2011年2月22日 ミラノ郊外の病院にて
ミラノ音楽院主催のボランティアコンサートです。イタリア人のお客さんの前で歌うと、歌詞の内容がわかるので(当たり前ですが)ちゃんと内容に反応してくれます。面白い内容だったら笑ってくれますし、悲しい内容だったら涙を流したり。。そんなお客さんですのでBravo Braviももらいますが、コンサート後にComplimenti!(おめでとう)という言葉も良くいただきました。よくぞここまで勉強しましたね、おめでとう!という感じでしょうか。あなたの歌のここが良かったなど、気軽に話しかけてくる人が多くいました。

そんな国民性のイタリア人たちです。

 

2011年9月
ミラノのお隣、セグラーテ市で、ロッシーニ作曲「結婚手形」スルック役で出演しました。この時は、同門のバリトン月野進さん、ミラノ留学に来ていたソプラノ沖山周子さん他、日本人の皆さんとの共演でした♪

2011年3月19日 ヴァイラーテ市図書館にて
ミラノン音楽院主催 Voci dal mondo(世界からの声)コンサート

 

私たちが留学していた2011年はイタリア統一150周年ということで、

イタリア国民の愛国心が爆発していた年でした。ヴィットーリオエンマヌエーレ二世がシチリアで決起し、各街々を開放しながら北に進軍したことになぞらえて、シチリア出身のベッリーニから、北のベルガモ出身のドニゼッティまで南から北をテーマに各作曲者の作品を演奏しました。コンサートの最後にはイタリア第二の国家と言われる、行け想いよ、黄金の翼に乗って、をみんなで歌いました。

 

2011年5月26日 Magentaの病院慰問コンサート
こちらも音楽院主催のボランティアコンサートです。ミラノ音楽院はミラノの病院の文化グループと提携していて、定期的にコンサートを行っていました。この会が、僕が所属していた期の最後のコンサートでした。出演者は日本人の他、韓国人、イタリア人、ポーランド人で色んな曲を演奏し、楽しんでいただきました。

2011年10月 Villa di Schiavon(Vicenza)
(公財)日本オペラ振興会第32期生イタリア研修に助演として参加。

修了コンサートではフィガロの結婚(抜粋)に伯爵役で客演しました

Genovaから東に電車で2時間ほどのLaSpeziaという町でドニゼッティ作曲「愛の妙薬」ベルコーレ役で出演しました。イタリア人たちに囲まれてのオペラ公演。本当に楽しかったです♪この街は今は、世界遺産チンクエテッレ(五つの小さな街)の始発の町として有名になっています。またPorto Venereという、これまた美しい港があります。(下記の#5,6番参照)

  ◆ 留学中に訪れたイタリアの都市・街・町・村 ◆

#1 シルミオーネ(ガルダ湖) sirmione lago di garda

 

ミラノから東へ電車で一時間半ほど、ガルダ湖のほとりには

幾つかの町がありますがその中でも有名なのがシルミオーネです。

その昔、マリア・カラス住んでいた別荘が今も残っています。また彼女はこの島の博物館設立に寄付をしたそうで、内部にマリアカラスのプレートが飾られていました。海岸に接した古城、またローマ時代の遺跡が見所です。

留学してすぐの旅行だったので、「プルマン」という言葉が分からず、売店のおばちゃんにあきれられました。

イタリアでは通常のバスや大型タクシーなどをプルマンと称されることを知らず、その後語学学校で習いました。日本では勉強できなかった生活単語の一つです。

#2 水の都 ヴェネツィア

四方全てを海に囲まれたヴェネツァ。その昔は海運国として栄え、様々な芸術も発展しました。運河沿いには様々な建築物が見えますが、この島には車が走っていません。人々の交通手段はヴァポレッと呼ばれる小型船と水上タクシー、そして有名なゴンドラです。世界で最もロマンティックな町とも呼ばれ、欧州特にドイツ人などは新婚旅行で訪れるそうです。

そしてヴェネツィアの、もう一つの顔がカーニバル(謝肉祭)です。

仮面と仮装が有名で世界三大の一つに数えられています。オペラブッファ(喜劇)のもとになっているコンメーディアデッラルテもこの地で生まれました。様々な人が時代衣装や仮面で紛争していて、写真を一緒に取ってくれます。でも、ものすご~く寒いのが玉に傷。。二月のヴェネツァは死ぬほど寒いので、ダウンとホッカイロが必需品です。

#3 マントヴァ 湖畔の宮殿が有名な町
中世には非常に栄えた街で、豪華な宮殿、美術品にその面影が見られる、マントヴァはオペラリゴレットの舞台として知られています。町にはリゴレットの家と呼ばれる観光案内所があり、リゴレットの彫像もあります。湖畔なので魚介類が特産で、また焼き菓子やランブルスコーが有名で、この二つをセットでお土産としてたくさん売られて言いました。

 

#4 ジェノバ 海と宮殿の町

海運で栄えたジェノバ。その歴史が世界遺産に登録されているガリバルディ通りの宮殿として残っています。一本、路地を中に入ると「母を訪ねて三千里」に出てきた世界が広がります。また海岸の方へ行くとヨーロッパ最大級の水族館や新旧の港があり、商業・リゾート地としての顔が見られます。やはり海産物が美味しいです。

#5 チンクエ・テッレ 海岸沿いのカラフルな村たち

ジェノバから西へ2時間ほどのエリア。世界遺産に登録されている、海岸線沿いの5つの小さな村のある地域のことを言います。とにかく、美しい!愛の小道という断崖絶壁の小道も絶景ですが、この海沿いのカラフルな家々が素敵です。(漁師が、自分の家が遠くからでも認識できるようにカラフルな色を塗ったのが始まりだそうです)

夏は大変な観光客になりますが、静かな冬もお勧めです。

ジェノバ、チンクエテッレ、ラスペーツィア、ピサ、シエナ、サンジミニアーノなど小さな町を続けて回るのがお勧めです。

#6 ラスペーツィア 女神の港を持つ町

チンクエテッツレの始まりの町、ラスペーツィア。町の中心からバスで30分ほど行くとPorto Venere(女神の港)があります。ここの家々もカラフルに彩られた美しい港です。またここに行く間に、イタリア海軍の基地があります。新旧のイタリアの海の歴史が感じられます。

#7 ヴィジェーヴァノ 美しい広場と回廊の町

ミラノの郊外の駅から約30分、ヴィジェーヴァノという小さな街です。かつて、ミラノ王族が住んでいたこともあり、小さいながらにロンバルディアで最も美しいと称される広場、その広場を囲う回廊が有名で、かつての城も博物館として残っています。ミラノからは近いのですが、意外と本数が少ないのでその点は要注意。

#8 モンツァ Monza 王宮とサーキットの町

 

ミラノから電車で20分くらいの近い町です。駅前には小さなリナシェンテ(日本でいう三越デパート)があり、これも珍しいのですが、その先の商店街には様々なお店があります。そして、立派なDuomo大聖堂があり、イタリア統一後に王族が住んでいた宮殿があります。さらには現在も使われているレーシングサーキットがあり、イタリアの今と昔の両方の面が見られます。残念ながら、この街には僕がコレクションにしている絵葉書が売っていませんでした。。

#9 トリノ Torino 歴史と工業、食の町

トリノは観光ツアーなどでは回らない町ですが、たくさんの見所があります。イタリア統一王朝の最初の宮殿、映画博物館、歌劇場も有名ですし、車のFiatの町、またサッカーのユヴェントスの町でもあります。そしてワインではバローロやアスティ、チョコレートも有名ですし、グリッシーニも有名ですね。また商店街も大変に栄えていて、何度でも楽しめる町だと思います。ただ、ミラノよりも渋滞がひどく、排気ガス被害がひどいとの事です。

#10 クレモナ Cremona ヴァイオリンと鐘楼の町
まず、この街の誇るものはヴァイオリンの名器として知られるストラディヴァリウスです。町にはヴァイオリン博物館があり、その歴史の長さが展示されています。また大聖堂Duomoの横にはイタリアで最も高い鐘楼があり、階段で上がっていけるのですがたしか四百段くらいあったと思います。(以上、地球の歩き方に書いていました)

上からの眺めは本当に爽快です。

#11 ブレーシャ Brescia 歴史と工業の町

ロンバルディア州第二の商業・工業の町。しかし町中央には新旧の大聖堂があり、またローマの遺跡、山の上には古城と歴史的建造物が満載です。一方、移民の姿も多く、ケバブやがたくさんあります。そのように古い歴史とイタリアの今のカオスの町、といえます。僕らが留学している間に町が世界遺産に登録されました。

#12 パヴィア Pavia 大学と川の町

ミラノから南に30分ほど電車で行った小さな街パヴィア。街の誇りは歴史ある大学とこのコペルト橋、つまり、屋根がある橋です。

大変に緑豊かで、ビスコンティの古城も素敵です。この街はこの川があることで、湿気が多く蚊がとても多いことで有名です。

聞いた話ですが、「蚊つぶしコンテスト」なるものがあり、一定時間でどれだけ蚊を潰せるかを競い合い、結果は紙皿の上の山盛り具合で決まるそうです。

エリアとしてはパヴィアになるのですが、電車で15分くらい離れたいる場所に、世界遺産として登録されている修道院、Certosa di Paviaがあります。駅について、見渡すと周りには農地ばかりで何もないのですが、その中にどーんと立派な修道院が見えます。今現在も、活動中の修道院で、修道士によるガイドツアーがあります。また修道士たちによる石鹸、クッキーなどが販売されています。

#13 ペーザロ Pesaro アドリア海のロッシーニ生誕の地 

オペラブッファ(喜劇)で有名なロッシーニが生まれた街で、毎年夏にロッシーニオペラフェスティバルが行われています。異なった演目が連日行われて、安い値段で世界一流の公演が見れます。また昼間はアドリア海に面した美しい砂浜で海水浴等楽しむことが出来ます。もちろん海産物も美味しいです。写真はポモドーロさんという彫刻家の作品で、街のメインストリートを進み、海に面したところにあるこの街の象徴です。夏、砂浜のカラフルなパラソルの群れが忘れられません。

#14 ウルビーノ Urbino 美と坂と大学の町

ミケランジェロ生誕の地として知られるUrbinoの観光は少し大変です。町のほぼすべての箇所が傾斜があります。しかし、その町の色々な個所に美術品があり、美術ファンにはお勧めの地です。現在は大学生の町として知られ、夜は学生たちが騒いでいるそうです。

#15 サンマリノ San Marino 山の上の王国

リミニからバスで一時間、世界で一番小さな国?のサンマリノに着きます。世界中から人が集まる観光地で賑わっていますが、山頂の古城、その眺めは格別です。

#16 リミニ Rimini アドリア海のリゾート地

イタリアでは若者が夏のヴァカンスを楽しむ町として有名な街です。

ちょっと歩いただけではわからなかったのですが、たくさんのディスコがあり、昼は海、夜は踊って過ごすのがイタリアの若者の楽しみだとか。。海は他の地域の方がきれいだそうです。サンマリノ行きのバスが出ています。ペーザロから電車で30分くらいだったと思います。

#17 ボローニャ Bologna 美しい回廊の町

様々な名物がある町ですが、もっとも特徴的なのはオレンジ色の壁、建築物でしょう。有名な塔に昇り、辺りを見渡すと見事なオレンジの景色が見渡せます。またPorticoとよばれる回廊は、その昔、建物の二階の敷地面積を増やすための増築のなごりだそうで、世界初の大学がある町、若者たちの為に部屋を増やした名残だそうです。パスタのボロニェーゼ、ラザニア、ランブルスコ、他、食の名物を上げたらきりがありません。

#18 サルツァーナ Sarzana 内陸の小さな街
ジェノバから西へ二時間ほどでラスペーツィア、そこからさらに少し内陸に行くとある町です。小さな街ですが、素敵な劇場があり、ここで毎年大きなコンクールが行われています。一度だけこの街に訪れたのですが、審査員に世界的に有名な歌い手、指揮者などいて、観るだけで感動しました。結果は上手くいきませんでしたが、伴奏してくれたコレペティから褒められたり、アドヴァイスをもらったり、とても良い経験になりました。小さな街なのですが、古城があったり、立派な彫刻があったり、ちゃんと見所があるのがイタリアの小都市で、見ごたえがあります。

#19 ベルガモ Bergamo ドニゼッティ生誕の地
ミラノから北に電車で1時間ほどでベルガモに着きます。ただ、この街はチッタアルタ(高い町)、チッタバッサ(低い町)と二種類に分かれていて、歴史的に古いのがチッタアルタの方で、そちらにはケーブルカーかバスで登っていきます。城壁に囲まれた小さな街ですが、歴史的建造物に満ちています。ここにオペラ作曲家ドニゼッティの生家や博物館があります。またお墓はDuomo(大聖堂)の中にあります。チッタバッサのドニゼッティ劇場では毎年、ドニゼッティのオペラ作品などが公演されているのですが、その様子や資料がドニゼッティの生家に展示されています。

#20 コモ Como 湖畔の避暑地
ミラノから北に一時間ほど、ヨーロッパでも有数の避暑地がありその湖畔にはたくさんの別荘が並んでいます。その昔、オペラ作曲家のプッチーニも別荘があったそうで、夏にはプッチーニの作品が公演されたりしています。ここに一つ山があり、ケーブルカーで昇っていけるのですが、駅からさらに徒歩で山頂を目指すとコモ湖の絶景が見られます。またそこでは携帯がスイスの電波を拾います。このコモ湖の上に国境があるのです。ヨーロッパはそういうことが多いのですが、日本は島国なのでそういう感覚が新鮮です。ここにもテアトロソチャーレという素敵な劇場があり、知り合いの演出家が参加している時に中に入れさせてもらいました。イタリアの劇場の中を見る、貴重な経験でした。近年は様々なお店があり、ショッピングを楽しむのにも良い町になっています。

#21 マッジョーレ湖 Lago di Maggiore 湖と島巡りの町
ミラノからは2時間ほど、マッジョーレ湖という大きな湖の周りに幾つかの町があり、ここも避暑地、観光地として有名です。観光本などではコモが良く載っているのですが、圧倒的にこちらのマッジョーレ湖の方が美しく、観光も楽しめます。小さな島を船で回っていくのですが、それぞれに宮殿や庭園など見所があり、楽しめます。欧州中から人々がヴァカンスで訪れているのですが、日本ではまだ知られていないお勧めスポットです。

#22 ヴェローナ Verona 

ローマ時代の遺跡とロメオとジュリエットの町

 

この街にも見所が満載で、紹介しきれないのですが、まずは古代競技場アレーナでのオペラフェスティバルです。夏には2000年以上前の建築物の中で、大規模なオペラが連夜行われています。公演開始時にはみんなでキャンドルに火を灯し、雰囲気を演出します。ただ、夏の時期の北イタリアは天気が不安定なので、当日券で公演を観ることをお勧めします。(安い席が20ユーロぐらいですが、満席になることはまずないので。)完全な野外公演なので、悪天候のときは残念ながら中止になります。

もう一つの見どころはジュリエットの家です。もともとはこのヴェローナ地方に伝わる悲劇が世界に広まったようですが、それをモチーフとした観光名所があり、金のジュリエッタ像の周りにはいつも人だかりがあります。ジュリエッタ像の胸を触ると思いがかなうという言い伝え、噂があるそうで、そこはピカピカです。その他、高台のローマ劇場、シニョーリ広場の塔からの眺めはまさに絶景、お勧めスポットです。

#22 ヴィチェンツァ Vicenza 建築物と世界最古の木製劇場の町

ミラノから電車で2時間ほど、地理的にはミラノ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ→ヴェネツィアという並びになっています。この街はパッラーディオという天才建築家が建てた建築物がたくさんあり、パッラーディオの町として知られており、世界遺産に登録されています。 

#23 チェッラモンテ Cellamonte ピエモンテの丘の町
ミラノからバスでどのくらいだったか、覚えていないのですが結構遠かったと思います。ピエモンテ州の中央部分、山間の丘の上の町です。この街の小さな教会で音楽院主催のコンサートを行いました。小さな街ですがある作曲家がこの出身で音楽院の生徒がその作品を演奏しました。またこの街側の主催の方がピエモンテ料理をふるまってくださいました。

#24 トレント Trento 山間の街
ヴェローナから北に1時間ほど、ドイツ方面、ドロミテ山脈の入り口にある町です。電車から見える山の風景が段々と変わっていく様が素敵です。装飾品や生ハムのスペックが名産。残念ながら僕が言ったときは日曜日だったので、あまりお店がやっていませんでした。これは旅の共通事項ですが、小さな街ほど日曜日はほとんどお店が閉まります。国境の街や、内陸の街はさらにそれが強くなるので要注意です。

あと、この街には14世紀?の広大な要塞が残っており、それも名所です。

#25 ナポリ Napoli  ナポリという素晴らしい国
8月15日がイタリアでは聖母マリアの昇天日としてクリスマスに次ぐ大きな祝日となっています。その前後は語学学校も休みになるのでたしか11泊12日のイタリア国内旅行に出かけました。まずはミラノからナポリへFrecciaRossa、ユーロスターの一番早い物で特売でしたがファースト席で快適で向かいました。「ナポリが危ない、汚い」というのはさんざん聞いていましたが、ちょっと食事をして散歩しているうちに11時近くなってしまい、地下鉄で帰ろうとしたらすでに止まっていました。そこで道を尋ねた警官に「この時間は街の人も出歩かない、気をつけろ」と言われました。警官たちが地下鉄の車両を一つ一つ、不審者がいないかチェックしているさまを見て「ここは本当に危ない」と思いました。

しかし、名所は美しく、食は美味いのです。初日はマルゲリータ発祥の店でVeraPizza(本物のピザ)と彼らは呼んでいるのですが、とろとろチーズのピザを頂きました。

#26 ポンペイ Pompei 繁栄から滅亡した街
ナポリ湾にのぞむヴェズビオ火山。オペラの中にも度々名前が登場しますが、この火山の噴火により、一瞬にして大都市が、今でいう大阪や名古屋といった重要都市でしょう。すべてが灰につつまれ絶滅しました。その悲劇がいまは美しい遺跡として残っています。住居だけでなく、庭園や競技場、道具や人がそのまま石化したものも展示されています。ただ、非常に広大です。特に夏場に回るのは危険なので、他の時期に回ることをお勧めします。

#27 エルコラーノ 石化した町
ポンペイと同時に町ごとまるまる石化してしまった町です。この一群も世界遺産として登録されています。ポンペイは非常に広く、また観光客も多いので体力的にきつい方はこちらでも良いかもしれません。人々の暮らしていたままが今も石になって残っています。

 

#28 ソレント Sorrento オレンジの香りする海の街

ナポリからは電車で一時間くらいだったと思います。可能有名なカンツォーネの舞台「帰れソレントヘ」のソレントに行きました。ヴァカンスシーズン真っ只中だったので、大変な観光客でしたが、海は感動的に美しかったです。まさに絶景!歌い手、カンツォーネが好きな方には一度は訪れてみて欲しい町です。

#29 サレルノ Salerno アマルフィ海岸への入り口の街

ナポリからは電車で一時間くらいでしょうか、交通の要所、サレルノの街です。アマルフィ海岸へ続く町で、素晴らしい美しさの礼拝堂のある大聖堂があります。適度に大きく、適度に庶民感があり素敵な町です。

#30 アマルフィ Amalfi 美しい海と陶器の街
サレルノからバスで一時間半くらいでしょうか、世界一美しいと呼ばれるアマルフィ海岸をひた走り、アマルフィの街に到着します。天気が良い時はソレントからのフェリーで向かうのも格別の美しさとの事。アマルフィの港からクルージングも出ていますし、青の洞門ならぬ、緑の洞門もあり楽しめます。映画「アマルフィ」の少し後だったので、多くの日本人観光客を見かけましたが、ちょっと自力では行き難い場所かもしれません。サレルノの観光案内所の方に良くアクセスを確認してください。特産のレモンのシャーベットが美味しいです

#31 ペストゥム(パエストゥム) Paestum 雄大なギリシャ神殿の残る町
ナポリから電車で2時間くらいでしょうか。最寄りの駅より15分ほど歩くと、いきなり目の前に遺跡が現れます。しかも一つではなく、10数個の規模でギリシャ神殿が現れます。もちろんん、大破して、痕跡だけのものがありますが、明らかにそこにギリシャ文明が存在したことが感じられます。イタリアにはこのような「歴史」を感じられる遺跡、史跡に数多く出会うことが出来ます。

#32 ローマ Roma すべての道の行く先 西洋文明の起源
あまりにも有名で、見所も多すぎるのですが、何度訪れても圧倒される場所です。日本人が修学旅行に京都へ訪れるように、欧米の人々はローマに訪れて、自らの起源に触れるそうです。

写真はローマの休日でも有名なトレヴィの泉。研究生時代もコインを投げ込んだので、留学の時も訪れたのでしょうか?

次回の訪問を願い、コインを投げ入れました。

#33 ヴァチカン市国 Vaticano カトリックの総本山

言うまでもなく、世界に十億といる、キリスト教カトリックの総本山です。イエスキリストの一番弟子、ペトロ(サン・ピエトロ)のお墓の上に建てられています。あまりに巨大で、あまりの無数の彫刻や絵画。その貯蔵品はヴァチカンの博物館に展示されていますが、空前の規模です。ヴァチカンを細かく巡るだけで、数日を要します。

#34 ピサ Pisa かつての強国、斜塔の街

 

ピサはかつては商業国として名を馳せ、大変反映していたそうです。その名残が大聖堂、礼拝堂、そして斜塔です。建築中から少しずつ歪んていたとの事です。写真はお約束のポーズ。ここに来た人は、いろんな身体の角度で面白い写真を撮ろうとしているので、その様子は客観的にみるとまた面白いです。

#35 シエナ Siena 古代競馬で有名な中世の古都

シエナと言えば、パリオ、つまり古代競馬の大会です。町中が幾つかのグループに分かれており、グループ対抗で行うわけですが、町中がこのお祭りに熱狂するとの事です。僕が訪れたときは、パリオの直後で、町中に勝利したチームの旗が飾られていました。勝ったチームの人たちは一年間、気持ちよく過ごすそうです。

現在はこの街の音楽院で行われるブルゾンやカバイヴァンスカなど一流講師陣によるマスターコースも有名です。

#36 サンジミニアーノ San Giminiano トスカーナの塔と丘の街

トスカーナの名物は広大な大地と丘陵です。この街も僕らが訪れるまで、丘一面のひまわりが咲いていたそうで、ちょっとタイミングを逃してしまいました。この街のもう一つの名物は塔。古代、家の繁栄の象徴としていかに高い塔を建てられるか、と繁栄、権力の象徴として塔作りが競われていたそうです。今も多くの塔の跡が残っています。高台から眺める広大な景色が印象的でした。

 

#37 フィレンツェ Firenze 絵画のように美しい街

イタリアのルネッサンスはこの街から始まりました。またオペラという総合芸術もこの街から始まりました。Ufizzi博物館も有名ですが、町の至る所に芸術作品が溢れています。オペラジャンニスキッキの舞台になったことも有名です。Porta Rossaやアルノ川、ポンテヴェッキオが今も残っています。また観光地ではそうでもありませんが、フィレンツェ訛りはとてつもなく強力なことでも知られています。子音C(ローマ字のK)つまりカキクケコがハヒフヘホに訛るので、「コカコーラ」が「ホハホーラ」になってしまうそうです。たまに、ミラノでもフィオレンティーナ(フィレンツェ人)がいて訛っている!と話題になったものでした。

 

#ティラーノ Tirano スイスへの入口の街

この街はイタリアとスイス、両方が混ざったような町です。そして、この街から世界遺産であるベルニナ鉄道で陸路、スイスへと入っていくことが出来ます。この鉄道、世界で一番高い高度を走り、また360度ループがある事でも知られ、鉄道マニアの方には聖地として知られているそうで、僕はベルニナ鉄道、最高地点で永久氷河が見える駅で折り返してきました。スイス滞在時間2時間ほどでした(笑)。8月の終わりに行きましたが、トレッキングを楽しむ人たちは登山用の厚手のジャンバーを着ていました。確かに駅の外は肌寒かったです。そして、この鉄道の一部に、いきなり日本語で看板が出てくるのですが、実は箱根登山鉄道と姉妹鉄道?でその有効の印として看板が掲げられています(逆に、箱根湯本駅にもベルニナ鉄道の写真があります♪)